トルコの歴史とステッキの起源

トルコの歴史と杖の起源


もともとデヴェレックは、豊富な森林に囲まれ、1833年頃にはステッキづくりが盛んな町として知られていた。
その頃1515年~1882年のおよそ350年間、オスマン・トルコ帝国はエジプトをトルコの支配下に置いていたが、イギリス軍の侵略に撤退せざるを得なくなり、エジプトをイギリスに明け渡すこととなった。1922年にエジプトが独立するまでイギリスはエジプトを植民地としていたが、トルコがそれに納得するはずもなく、その間もエジプトを攻め続けていた。
ちょうどその頃、オスマントルコ帝国のスルタン(王様)のもとで、優秀な家具職人として働いていたデヴェレック出身のアリジアという男性がいた。
彼もまた、エジプトに派兵されることになったのだが、その地でイギリス軍に捕まり、捕虜となってしまう。しかし、彼はイギリス軍が所持していたステッキの素晴らしさに魅了される。
1908年に釈放され、トルコに戻った彼は、そのステッキの素晴らしさが忘れられず、自分の記憶を頼りにステッキを作り始める。それは次第に、周りに広がり始め、イギリス軍のそれより、技術的にも進化し、さらにトルコ人としてのオリジナリティーも加わり、デザインも独創的になっていった。そして、デヴェレックはステッキの名産地となったのである。

「いたずらっ子には西洋グミで作ったステッキで殴れ」


有名なトルコのことわざです。西洋グミのステッキの硬さを表現しています。それほど硬い木を使った、デヴェレックのステッキの丈夫さも示しています。
「ハンドル」とよばれる取っ手の部分は、クルミ・クワ・ツゲなどの木が用いられますが、牛の角や骨なども使われます。先端も牛の角が用いられます。

材料

「西洋グミ」という硬い枝をもつ木がステッキの材料になります。実は成熟すると、赤く色づきサクランボほどの大きさになります。


製法

まず、デヴェレックの山沿い70km以内に自生している、西洋グミの枝を11月~3月に刈り取ることから始まります。その後、少なくとも1年間、通常3年間はその枝を乾燥させるために、放置します。
実は西洋グミの枝はまっすぐに伸びません。そのため、180~240℃の窯で8~15分温め、枝を柔らかくし、まっすぐに成型するのです。
まっすぐになった枝は、外皮を削り、片端を細く削り、少しずつステッキの形にしていきます。
このときの太さによって、デザインが決まると言います。細いステッキでは、不可能なデザインもあるからです。

その後、ハンドルと先端の製作に取り掛かります。
本体部分にデザインをほどこすには2種類の方法があります。
1つは、直接本体に下書きを書き、彫る方法。
もう一つは紙面に下書きを書き、それをステッキ本体に巻きつけ、その上から彫っていく方法です。その場合は、残った下書き用の紙を取り除く作業も必要になります。

ハンドルと先端部分をステッキ本体に取り付ける順番は、下書きの方法によって違います。

その後、やすりをかけ、硝酸で着色します。硝酸で着色するのは、虫からステッキを守る、という役目もあるようです。

最後に、ワックスをかけ完成となります。
ステッキにほどこすデザインの意味
ここでは、多く使用されるデザインに言及して説明致します。
ヘビ・・・農業にとっての恵みの雨の象徴や、家の守り神
オオカミ・・・人生の道案内
ライオン・・・強さの象徴と守り神
ワシ・・・強さと忍耐の象徴、守り神

デヴェレックでステッキが栄えた理由

杖の材料となる、西洋グミはトルコ全土に自生しています。
しかし、デヴェレック付近で自生しているこの木は、特にステッキに最適だと言われています。
それは、デヴェレックの気候や雨量、この木が自生している山の標高などが関係しているそうです。
誇りであるデヴェレックのステッキに生活を支えられてきた人々は、自分たちのふるさともまた誇りに思っているのです。